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森 繁哉、堀内 公子、前田 勇、山村 順次、猪熊 茂子、早坂 信哉、後藤 康彰
予測することも不可能な災害だったと弁明されました。確かに、何事も起こらぬ平常の状態からは、針の穴ほども想像できない事態だったのかもしれません。多層に重なり合うたくさんの偶然、必然的な出来事が、すぐ様に、直に、モノそのものに打撃を与え、モノは予測を超えて、世界最大規模の産業事故に発展したのです。そして、予測できないこととはなんでしょう。人知を超えた事態の出現なのでしょうか。また、複雑に絡み合うものが全く新しい局面を展開した事実なのでしょうか。予測できなかったことだから、いづれにしても事態は軌道を脱していたことは間違いないのです。
しかし、原子力発電を考える思考の根底には、常に、この軌道を脱していくモノへの視線がなければならなかったのではないのでしょうか。と同時に、原子力は、軌道を超えるが故に、原子の力なのだということを、私たちは知っていたのでしょうか。事故後の言論にあって、故・吉本隆明氏のみが、こうした原子のモノの正体を言い当てていたように思えます。「(原子力は)武器に使うにしても、発電や病気の発見や治療に使うにしても、生き物の組織を平然と通り過ぎる素粒子を使うところまで来たことをよくよく知った方がいい。そのことを覚悟して、それを利用する方法、その危険を防ぎ、禁止する方法をとことん考えることを人間に要求するように文明そのものがなってしまった。
「思想としての3.11」河出書房新社」故・吉本氏は原発擁護派と目され、その言論の一言一言に多重な反論がなされていたのですが、そう容易く、彼の言論を原発擁護の思想と断定してしまうことは、大変、危険なことです。吉本氏は、原発事故という事態が引き起こしてしまったあからさまな現実を容認しているのではありません。吉本氏の言説は、原子の力を手にしてしまった私たちの現在のちからを浮き上がらせようと意図しているのです。力とは、生きることです。生きる意図のことです。吉本氏は、そこからしか(生きることからしか)思考できないことを、自覚的に語っています。だから、原発を廃棄するか、再稼動するかといった思考は、もうひとつ別な道筋を辿らなければなりません。そうした道筋の混同から明晰に脱しなければならないことを、私たちに問うています。そして、そうした現在に生きることを(文明の肯定)を良しとする思考には、もう、組しません。私たちは文明の転換こそ求めなければならないという意見も包含して、私たちは原子の力を、もう一度、思考しなければならない立場にいることを、吉本氏は語ったと思えるのです。
そうした問いの根底に、あの「生き物の組織を平然と通り過ぎる」素粒子の性質・存在があります。平然と通り過ぎるということは、生き物の秩序を逸脱することです。あり得ない脱しが、超えが実行されるということです。原子の力、素粒子の発見(その後の発明)は、人類が平然と通り過ぎるモノを所有したことを表し、私たちは軌道を脱していく事態を抱え、そのことへの予測にしか、生の条件が位置付けられないことを示したといえるのです。私たちは、リスクという、事態の緊迫の正面に立たされているのです。こうしたことへの覚醒が、生きる現実、文明の進行にはどうしても必要なことを、私たちは再・覚醒しなければならないのです。私たちは、事態に、常に晒されて在ることを選択(かって)したのです。
福島第一原子力発電所の事故は、こうした選択の総体(意義ではなく、有責の起こりとして)を吟味する機会として、常に、私たちの前にあります。では、原子の力とは、一体なんなのでしょうか。原子力は、自然界に存在する素粒子・物質を人類が模倣し、制度化した工作のモノなのです。だから、置き換えられるモノとして私たちが所有した、自然だといわなければなりません。私たちは、工作の素粒子によって、自然を作る(模す)意思を得ようとしていました。しかしそのことは、決して自然には成れない永遠の猶予(罪として)を、私たちが抱えたことを意味しています。私たちは文明(科学と言い換えて、)の進展にあって、常に自然に成りたいという願望を先送りしながら、無限なる進行を繰り返すことになったのです。そのことが、猶予罪ともいえます。
しかし、このことが大切なのです。自然に成りたいと願望することは、一方で、自然への目覚めでもありました。原子力の発明の根底には、自然の摂理へ目を開き、そして驚き、また、自然が内包する膨大な力を畏れる、人類の自然への思いが存在したのです。そうしたものに浴し、恩恵を受けることを期待する自然への信が発明の発意に介在したことは、紛れもない事実です。人類は自然と模しながら、自然のことを知りたいと願ったのである。原子力は、自然と私たちを繋ぐ門の役割を期待されたのかもしれません。「最初の科学」には、確かに、こうした願いが存在するのです。私たちは、この意図、願望に寄り添わなければならないでしょう。自然を畏れ、自然の叡智を知るために、自然を模そうとした、この熱情に、私たちは責務を負っているのです。確かに、自然を模す意図そのものが、自然の冒涜であることも人類はよくよく承知していたのではないでしょうか。(私は、原子力の平和利用の価値などを述べているのではありません。)
しかし、文明の進行が、自然への信と表裏一体のこととして捉えられていた時代にあっては、文明も、自然を補完するものであったのです。模された自然のひとつの姿を観察し、人類は、自然への傾斜を深めていったのです。自然と文明が相互に通行し合う望ましい生き方を、人類が願ってなかったことはありません。私は、牧歌的に、かつ、没神風に、自然と文明の望ましかった時代を辿ろうとしているのではありません。そう、思うことからしか、原罪といった背負うものの大きさを知る術をなくしてしまっている私たちの現実を、回収しようとしているのです。原子の力の発見の背後にあった人々の熱情に降り、そこに横たわっていた人々の自然への畏怖に立ってみて初めて、人類が原子の力に託した願いのメッセージを、現在のものにすることができるのです。そうした覚悟(吉本氏の言葉)を、定めようとしているのです。もちろん、その後の、文明の暴走を棒引きしようと企んでいるわけでもありません。私たちが、いやがうえにも、現在に生きていくことは、引き継がれてきた事態を引き受け、そのことの本意に責を負うということです。
そして、私たちが次世代に引き継ぐべきものはなになのかを、自問しなければありません。文明の直中に生きるということは、こうした有責性を背負うことを意味しています。原罪は、この有責の根拠を総称しているのです。私たちは、複雑に入り込んでしまった私たちの意識(近代人としての意図)を、ひとつひとつ丁寧に解き解かしていかなければなりません。そして、原子の力を得たということは、人類が、回復(自然の回復力は驚異なのだ)の力を得たということでもあるのだから、私たちは、回復しなければならないのです。そうしたことが、有責に踏み込む、一歩になります。
さて、私たちは、文明の進展の根底に、自然への信が内在化していたことを考察しました。そして、そのことを得ていく方法のひとつが、自然への接近を持続することであったことを考察しました。そう考えてくれば、私たちが、自然界に存在する原子の力に浴する(医療の行為)ことは、文明と自然の在り方の始原に立ち帰っていくことではないでしょうか。そして、身をもって、自然を了解したいとする願望の始まりに辿り着くことなのではないでしょうか。そう、解釈することができるのです。もちろん、自然界に存在する原子の力が、医療の力として有意義であるかどうかは、医学や科学の分野の方々の、たゆまぬ研究、見識が証明してくれるでしょうが、私たちは、自然に浴するという行為から、あの原子の力を発見した始まりの驚きと喜びを、追体験することができるのです。病む、痛む身体を抱える本質性とは、私たちが、常に、自然に寄り添い、自然の恩恵を受けなければならない存在であることを知っていく特権を有することであります。そうした自然(世界)認識に浴することが、身体に置かれるということなのです。そして、病む、痛む身体は自然界に潜在する、生きていくことを促す力を察知していきます。だから、より自然を欲し、より自然を得ようとするのです。そうした、負の身体が抱える特権的な受容の傍らに、温泉の、放射線に浴するということがあります。常に、自然(温泉という)に寄り添い、その寄り添いのなかから自然に潜む力を探り当て、生の回復を目論もうと意図することこそ、私たちの自然接近の、最も素朴な方法なのです。病む者、痛む者の自然に浴する行為は、こうして、文明が自然のなかに原子の力を発見したときの始まりの期待に立ち会っているのです。
私たちは福島第一原子力発電所の事故という、予測することも不可能な事態に立ち合ってしまいました。こうした事態を考えることからしか、先にも、後にも進めないことを痛感しています。だから、今こそ、私たちは、原子の力という、自然に潜むモノを取り出した(工作)自然認識の根に遡らなければならないでしょう。そこから、もう一度、文明の進展とはなんなのか、そして、私たちと自然の関わりとはなんなのかを、愚直に問わなければならないのです。そうしたことの引き受けを、貴方がたは為そうとしているのかと、あの凄惨な事故の現実は、私たちに問うているのです。