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わが国は、広島・長崎での原子爆弾の被爆国です。また、近年起こった原子力発電所での放射能漏れ事故などでも、放射能の恐ろしさを身に沁みて知っています。多くの日本人が、どんな微量の放射能でも、からだに有害だと思っているようです。
ところで、私たちの周りには、さまざまな放射線・放射能が存在しています。普段の生活の中で受ける放射能の半分近くは、土や石建材、空気中に広く分布しているラドンによるものです。吸入によって体内に入ったラドンから出るアルファα線により、呼吸器の気管、気管支および肺胞の粘膜が照射を受け、肺ガンを起こすリスクが高まります。欧米のように石づくりの家屋で密閉度の高い場合、室内ラドンの濃度と肺ガンの発生には関係があるといわれ、1980年代には大きな社会的・医学的問題になりました。米国の例ですが、室内ラドン濃度が30ベクレルBq/m3の屋内で、1日の生活時間の80%を過ごしたとき、肺ガンの自然発生率は人口10万人当たり36人になります。ラドンの吸入による肺ガンの発生は、年間約1万5000人と推定されています。
わが国の放射線についての法令や基準値は、「国際放射線防護委員会(ICPR)」の勧告をもとに決められています。ICPRは、放射線防護の国際的な権威をもち、放射線防御の基準を設けています。その基本原理は、広島や長崎の高放射線量のデータなどから、「放射線はどんなに微量であっても有害である」という「しきい(閾)値なし直線仮説」が基本です(電力中央研究所 服部禎男氏)(図1)。
しきい値とは、ある値以上で効果が現れ、それ以下では効果が境界の値を言います。すなわち、放射線はどんな少量でも有害的に働くというものです。大量の放射能の影響から、発ガンや遺伝的奇形などの発生する確率は、線量と比例する直線関係にあるという考えから、これを延長する外挿法で、微量でも有害であると考えたのです。カナダやアメリカでは、高濃度のウランが含まれている鉱山で働く労働者の肺ガン死亡データを検証し、ラドン吸入の危険を推定して放射線の基準値が決められました。しかし、ここでは自然界のラドンの危険性が強調され、低濃度ラドンの危険性や安全性については考慮されていません。
広島と長崎の原爆被害から30~40年の時間が経過し、広島・長崎周辺の疾病罹病率や死亡統計の検討を行った結果、爆心地からある程度離れた所の住民は、ほかと比べて死亡率や疾病罹患率が低いことがわかってきました。また、37年間にわたる死亡統計を調査した岡山大学の御船政明氏は、「三朝温泉の住民のガン死亡率は、全国平均や周辺よりも低い」という成績を1992年に発表しました。
三朝温泉は、高濃度のラドンを含有することで知られています。三朝温泉の放射能は1ℓ当たり平均約40ベクレルで、温泉地の屋外でも周辺の農村地帯の2・4倍あります。三朝温泉のある浴室内の放射能は、1 m3当たり200~8000ベクレルで、アメリカ環境保護局の決めた室内基準値(当時)の150ベクレルを大きく上回っています。この報告は、三朝町の全住民をラドン温泉地域(約3400人)と、周辺農村地域(約5500人)に分け、1952~1988年の死亡原因を統計的に解析し、人口の年齢構成なども調整して比較しています。37年間のガン死亡率は全国平均を1とすると、三朝温泉地域が0・54(男)、0・46(女)、周辺農村地域が0・85(男)、0・77(女)で、いずれも低いことがわかりました。三朝温泉では、低濃度でも空気中のラドンを日常的に吸入したり、温泉を飲んだりする習慣があります。ラドンに直接影響される肺、胃・大腸でガンが少ないことは、少なくとも「すべての放射線は有害」という考えに問題があることを示唆しています。
放射線のホルミシス効果は、低線量の放射線を照射すると、生体のさまざまな機能が亢進するという現象をいいます。ホルミシスHormesisとは、ホルモンhormoneも同じ起源であるギリシャ語の”hormo”(刺激する、促進する)からきています。意味は、「大量使用すると有害であるが、少量(あるいは適量)の場合には、逆にからだに良い刺激を与えて、生理学的にプラスの効果を与える」というものです。
最初にこの概念を提唱したのは、米国のミズーリ大学のトーマス・D.ラッキーT. D. Luckey教授でした。彼のグループは、それまでの放射線の生体作用についての膨大な調査研究の結果を解析し、これを1982年に「米国保健物理学会誌Health Physics」に発表しました。その結果、「少量の放射線は免疫機能を向上させ、からだの活動を活性化し、病気を治し、病気にかからないようにからだを強くし、生殖能力を増し、老化を抑制して寿命を延ばすなど、いろいろな面で生物学的にみて良いバイオポジティブな効果をもたらす」作用があると結論しました。1985年、ラッキー教授の研究内容を確認するため、オークランドで「放射線ホルミシス第1回国際シンポジウム」が開かれました。この会での結論は、「科学的に誤りではないが、ゾウリムシなどの小動物でのデータが多く、ほ乳類による十分な検証が必要」となりました。その後は、わが国でも微量放射線に対する実証研究が広く行われ、多くの新しい知見が発表されてきました。
各国でもその後、活発な研究がなされ、多くの国際会議などが開かれて、哺乳類での実験やヒトでの臨床研究などから、このホルミシス効果についてのデータが蓄積されてきました。
東北大学グループは、死亡率の高いガンである悪性リンパ腫の患者を、①高線量の放射線を局部に直接照射する群、②局部照射の前に低線量放射線を全身に照射する群の2つについて、10年以上追跡調査をしました。その結果は、局部のみ照射した群の生存率が50%だったのに対して、低線量を全身照射した群では84%でした。これは、低線量の放射能照射が、免疫力を高めるのに重要なヘルパーT細胞が活性化するのが、要因の一つであることがわかりました(図2)。
マウスにX線を全身照射すると、ガンに効くメカニズムの1つの”p53″というガン抑制遺伝子が活性化することがわかりました。X線を照射しない場合に比べて、あらゆる臓器の細胞でp53が作るタンパクが著しく増加することによって証明されます。
細胞のエネルギー代謝の過程で、多量の活性酸素が発生します。活性酸素は細胞膜を酸化させ、DNAを傷つけて、さまざまな病気を引き起こす原因になります。マウスにX線を全身照射すると、活性酸素を除去して、からだを守る抗酸化物質である「スーパーオキシドジスムターゼSOD」や、「グルタチオン・ペルオキシダーゼGPX」が増加します。
鳥取県の池田鉱泉水はラドンを多量に含んでいます。この温泉水をウサギに吸入させると、血中アドレナリン、痛みをとるメチオニンエンケファリン、ストレスを和らげるベータエンドルフィン、糖代謝に重要なインスリンなどのホルモン分泌を促進することがわかりました。エンドルフィンが増加したのは、ラドン泉温泉療法が慢性リウマチに明らかに鎮痛効果があったという臨床結果を表すもので、メカニズムに関係する可能性が指摘されています。
1型糖尿病マウスに、12、13、14週目に50グレイcGyの線量を照射し、病状の進展を調査しました。その結果、12、13週目に照射した場合、糖尿病の発症が抑制されました(図3)。表1は、最近の放射線ホルメシス効果の成績をまとめたものです。しかし、これらの研究は、試験管レベル、動物実験の結果であり、そのまま、ヒトの生体作用に結び付けてよいかどうかという問題があります。これらの基礎データを基にして、天然ラドン温泉による人体生理作用や臨床応用の研究が期待されます。