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予が村杉薬師堂境内湧泉に多量のラヂウムエマナチオンを含有せるを発見公表せる動機は去る大正二年三月中専門学校生徒を率い兎狩遊戯の為め同地へ出張の途次荒木七之亟氏方に宿泊し入浴の際泉水の餘りに薬味即ち科学的成分の特徴に乏しきより奇効の原因を疑ひたるに始まり大正三年春に至り本務の閑暇に多少の泉水を得て之を分析したるに果して何等の有効素を検定する能はず、しかも該湧泉の打撲傷リヨーマチス、神経痛等に著しき効験あることは世間に定評ある所なるを以て予は千思万考の末或は墺太利国に於て神の霊泉と称されたるスタイン鉱泉の如くラヂウムエマナチオンの作用ならざるなきかを想像し試にラヂウム検定機を以て実験したる所実験室に於て既に充分なる感応あり依りて新潟新聞社主筆小林粲樓氏に此事を語り相携へて同地に出張し現場に於て更に数十回の実験を累ね愈々其確実なるを立証し得七月中同地の人士を集めて一場の講演を試み且つ縣下の有力なる新聞紙上に於て其筆記を発表せり、
当時予の考慮せる所にては平均量に於て泉水一リツトル中五十六マツヘを含有する本泉の如きは本邦に於ける最優位に近きものにして世界に於ても或は二三流を下るものに非ずと思はれしも爾後の調査に依れば本邦は意外なるラヂウム国にして所在の温泉鉱泉中エマナチオン含有の度合に於て本泉よりも上位のも五六を数ふるに至れり、然れども本泉の如き湧出の数量の多きものは他に匹儔なきのみならず村杉に於ては単に薬師堂境内の泉水中のみならず村内を貫流する渓流にも亦同様の含有あるを以て積算量よりすれば殆ど世界無比ともいふ可く、従つて其空中に飛散する量も莫大なるを以て呼吸機関に依り浴客のエマナチオンを吸入する程度は断じて他のラヂウム泉の及ぶ所にあらず尚ほ本泉は帝国政府より桑港博覧会に出陳紹介せる本邦名勝案内記にも掲載され世界的歩武を占むるに至りたれば予が最初の想像も大に誤らざるに庶幾く発見者として甚だ愉快を感ずる所也、村杉の湯の発刊あるに附し聊か所感を述べて本泉の価値を不朽にすと云爾
■蘆わたる風、湖の心に入りて、寂鮎の背に白く。露、山の懐に凝りて、茸を藏す土また香し。このときを、余、村杉の浴樓にきたりぬ。月の二十三日也。妻は、頃者、男の児を生みて、いまだ五十日を出でざれば伴はず。長女京子と。京子の傅と、而して頽齢七十の母を奉じて、しばらく茲に雲萍の踪跡を寄せむとす。家は田園の間に在れども、俗事いたづらに繁しくして、悠々自適、読書に執筆に、能く旬日の清安を求むること叶はざるを奈何せむ。いまや窃かに此の風塵の累を遁れて、閑雲野鶴のあとを追ふべき好機を捉へぬ。
■秋高うして霽色十里、玻璃窓はるかに雲を隔てて弥彦角田のニ峰を望む。苅りとられたる金色の稲の稔、はら鼓うつ翁媼の娯しき笑顔は、彼所に此処に、有繫に夫れと首肯かるるに非らずや。会心にして快目、はや黄昏るる蒲原の野を亀田に折れて、灯明き靜松軒に物外詞兄と先づ久濶を叔するなりけり。翌くる日は、朝の八時に澤海を出で発つ、みじかき道程を汽車に上らむは面倒くさし。爺と爺との二人曳こそ詩趣饒けれと、音せぬ護謨の車のうへに、坐ろ荒涼たる昨秋の水災を回想しつつ、常には大人しき阿賀の緑を、細く長き横越の古橋に踏みて、野菜市たつ水原の街、うの人混雑の人おしわけて、薄日さす秋晴の日を村杉さして赴くなり。
■是も「ラヂウム」の効能やらむ、去年までは見度くも看られぬ担たる浴道、新たに耕畝の中に通じて、金屋を過ぎれば、路は恒に安野川の藍碧に添うて趨る、満嶺やうやく三分の紅葉、くるまを停めて曾遊の塩原の眺を憶ひぬ、まだ夕暮に時はあれど、客衣吹く風いと冷やかに、林泉旧に依りて秋色濃かなり、予やこの清澄の佳節を卜して、再び此滸に筆硯を洗ふの人とならむとす。風流まことこ縁あるかな。乞ふ、吾曹をして少しく「村杉の湯」を語らしめよ。
(十月盡日、長生別館樓上)
■まくらに濺ぐ瀧の音を雨かと聴きて、暁はやく窓の障子を抽き明くれば、是はまた昨日に勝る上天気寝巻の儘の武骨なる姿を新築の総湯に運びて、溢るるばかりの湯槽の裡に紅の滲むと見るよ肌膚を、肥れ肥れと撫でまはす也。好山好水、われは此の林泉の間に、快読し快吟し、快食し、快眠すること、今に到りて十有餘日。秋はいつしか深うなりて、澄みわたる月の光、石ばしる水の韻、太静にして太寂、晝より夜は一入の趣あるなり。
■人もし水原の停車場に村上行の汽車を棄てて、東に入ること三里許、一水俥を迎えて、涓々として松の林を穿てるを看む。河床浅けれども厥の水や優冽、懐春の處女、ときに石に踞して歌を唱和しつつ衣洗ふ。一幅艶麗の絵を披くに似たり。村杉の里は是よりぞはじまる。
■邑を遶りて老杉古松、満驛すべて四十三戸、軒々多くは湯宿を業とし、然らざる者、即耕耘の事に従ふ。居民敦朴にして穩良、一村宛として一家のごとく、吉凶相訪ひ患難相済ひ、室に鍵を用いず、途、遺たるを拾はざる也。俗物蛆の如き都会は言はず、醜風淫習、滔々たる他の温泉郷の夫れに較べて、むしろ意料の外なるに喫驚せずんば非らず。
■我等は例に依りて長生館に泊りぬ。館主荒木善吉氏は質実温厚の仁。野服蕭散、ただ孜々として伝来の職業に出精する也。語るところ寡けれども其の情や款洽、予は端り無くも北蒲の一邊に、此の穆茂なる佳友を得たるを欣ぶなり。
■全村之人、おほかたは荒木の姓を名乗る、伝へ謂ふ、足利氏の家臣荒木正高創めて此処に這の湯を開くと。建武二年の春の比、今を距る事六百年の昔なりけり。鉱泉一日の量およそ九百石、滾々として城山々下、薬師の御堂の畔に湧く。その色は浄澄、無臭にして無味、掬び嗽いで何処が効くかと思ふやう也。予いま試みに数点の霊水を旅の硯に滴らし、携へ来りし墨を磨して帝京目白の書屋に棲める、伊藤松韻に寄するの端書をしたためぬ。曰ふ、余、筆を載せて灑山清浴の雅興を逐ふ。折り焚く柴の夕烟、焦げて半ば黝みざしたる雑炊に、闌けゆく秋を語らむとする、予のごときに在りては、蓋、絶好の壇場たらむ若し夫れ、舟江、千金の妓を拉して、隣人の困惑、吾れ関せずと為すの徒に臻 りては、此地すなはち大に未まだしと。
(十一月初七、燈下)
編輯局諸兄、僕、今、小著、平家私稿の完成と、長編、東国紀行の執筆とに従ふ。滞浴業に三週日に垂んとするも、兩つながら未だ其の半に到らず。苦吟しばしば案上の稿紙を府つて、轉たわが筆の短かきを憾とするなり。紫野大徳寺の先住、大綱和尚、曾て狂詩一首を詠り、戯れに傍人に示して曰く、
風流の地獄なりけり詩をつくれ
歌をも詠めと攻めらるる身は
禅師はまことに当代の詩宗。一介、予の如きもの、深く言ふに足らずと雖も、而かも入りては塵俗の事に齷齪(あくせく)し、出でては、塵外、さらに此の負担の重きに就く。自ら揣からず、今に於て亦た奈何とも爲る無き也。
■何の為に「平家」の稿を起せし乎、「私稿」上梓の因由は如何。是のごときは既に諸兄の諒する所、予また甲寅新春の北越紙上、之に関する一論文を公にし、題して平家終始論と謂ふ、便ち爰に再び誌するを休めむ。唯、予が渺乎白面の読書生を以て、猶かつ此の種の著述を企つるに臻る、期するところは一貫せる平家伝説史也。詩化せられたる平家傳也。花と披き華と散りにし渠等がみじかき生涯を、活きたる芸術として観照の筆を染めむとす。この意味に於て、古書すでに平家物語あり。源平盛衰記あり。水史は姑らく之を惜くも、近く山陽の日本外史あり。今に到りて厥の加ふ可きを見ず。然も彼の金玉を打して、此の瓦石と為す所以のものは、かならずしも国文に偏せず、必ずしも漢文に当せず、一はりの難解の文字を譚して、而して原文のにほひを失はざらむにつとめ、他はすなはち能く、源平時代の世々相を、優麗なる一種の文学として味はしめむと欲すれば也、本書の行文は専らかかる意義の上に樹てり矣。かの考証学者の夫れの如く、徒らに区々たる事物の末に拘みて、博覧旁捜をこととするは予が志に非らざる也。
■此の夕、雨、大に臻る。欄前の紅葉や、黄葉や、はやく已に風煙の中に没
して、四方に顧れば蒼茫、屋溜、縄のごとく蕭々として流れて窮るところ
を知らず。読書むしろ好適。
(十一月十七日後午五時、浴後)
大室村字薬師平の鉱泉場敷地は、かつて大室村の土地であった。明治八年十二月、この土地が官有地に編入されたため鉱泉汲取税を納めてきたが、明治十三年以降は、特に督促がなかったために税を納めることなく営業を続けてきた。本史料は、荒木與慶他三十名が県令永山盛輝へ提出した、鉱泉場敷地拝借の据置願いである。附図の鉱泉場拝借麁絵図面は省略した。
新潟県北蒲原郡大室村字薬師平 第四千六百三拾番
右ハ拝借願人一同申上候、前顕壱畝拾八歩ノ鉱泉敷地ハ、明治八年十二月以前マテハ大室村持地ニ有之候処、明治八年十二月以来官有地ニ編入相成候、然ルニ右鉱泉敷地ヨリ湧出候泉水ヲ沸シ、去ル明和五年ヨリ病人ノ患者ニ温泉入浴為致、拝借願人一同ハ湯宿営業ヲ致シ来リ候、尤患者ノ為メニハ大ニ功験ヲ顕ハシ、将来追々繁栄ニ相成、専ラ奇効ヲ奏シ一層盛大ニ相成候処、明治十三年中迄則該鉱泉汲取営業ノ運上トシテ、一ケ年ニ付若干ノ金円ヲ上納シ来リ候処明治十三年以来右運上ノ義、御沙汰無之ニ付、無税ニテ営業致シ来リ候得共、過般御取調済ノ官有地鉱泉場ナレバ、税金ヲ上納シ営業ヲ為スハ当然ト思考仕候ニ付、今般更ニ拝借ヲ願上御規則ノ拝借税ヲ上納致シ、此後永々営業仕度ニ付一同出願ニ及ヒシ義ニ有之候、素ヨリ拝借願人一同ニ於テハ外ニ営業トスヘキ職業ナク該鉱泉場ノ湯宿営業トシテ僅ニ糊口湿シ家族ヲ養ヘ来リシモノニシテ、万一湯宿営業ヲ為スコト克ハサルニ於テハ、一同路頭ニ佇ムヨリ外無之、且ツ数万ノ患者ニ於テ病根ノ患ヒヲ除キ社会一般ノ利益トナル事ハ、挙テ数フ可カラザルニ付拝借上願仕候間、格別ノ御沙汰ヲ以速ニ拝借願ノ義御聞届被成下度、此段拝借鉱泉場ノ絵図面相添ヘ、地元村戸長ノ奥書証印ヲ要シ、拝借人一同連署ノ上奉願上候也
明治十七年四月二十八日 新潟県北蒲原郡大室村ノ内村杉
発見人 拝借願人 荒木與慶㊞
拝借願人 荒木六蔵㊞ 荒木與五兵衛㊞ 川上太郎兵衛㊞ 荒木善左衛門㊞
荒木啓吉㊞ 荒木慶蔵㊞ 大野又蔵㊞ 荒木銀蔵㊞ 木村六兵衛㊞
渡辺磯治㊞ 荒木與七㊞ 荒木與左衛門㊞ 荒木長次郎㊞
荒木鉄次郎㊞ 荒木徳蔵㊞ 川上甚六㊞ 荒木清兵衛㊞
荒木幸三郎㊞ 荒木重蔵㊞ 荒木嘉左衛門㊞ 木村福蔵㊞
荒木三蔵㊞ 荒木菊次郎㊞ 荒木清四郎㊞ 大野與惣右衛門㊞
荒木猶蔵㊞ 荒木久七㊞ 大野久兵衛㊞ 荒木忠左衛門㊞
川上佐次兵衛㊞(不在ニ付長男佐市代印)
新潟県令永山盛輝殿 代理
新潟大書記官木梨精一郎殿
前書願出之趣相違無之候也
十七年四月二十八日 右戸長 遠藤伊右衛門 ㊞
(「笹神村史」より 大室 遠藤義典氏所蔵)
北蒲原郡笹岡村大字大室字大室山四六三〇番甲 壱坪
同 所 乙 〇坪五合
右今回大蔵省より払下に相成名義人として荒木善吉外拾三名に所有権移転の登記簿も払下代金其他諸費共村杉温泉組合に於て支弁のものに付該土地の権利義務は凡て温泉組合の所有たるを確認し茲に後日を認する為め記名捺印します
昭和二十五年五月 村杉温泉組合
荒木善吉㊞ 木村喜蔵㊞ 荒木六蔵㊞ 荒木清兵衛㊞ 荒木力三郎㊞ 荒木茂三郎㊞
荒木富一郎㊞ 川上タイ㊞ 荒木銀一郎㊞ 荒木幸三郎㊞ 荒木猶一㊞ 荒木與五兵衛㊞
鈴木蔀㊞ 荒木キイ㊞
新潟県北蒲原郡笹岡村大字大室山四阡六百参拾番ノ甲 鉱泉地 壱坪
新潟県北蒲原郡笹岡村大字大室山四阡六百参拾番ノ乙 鉱泉地 五勺
一、登記の原因及び其の日附
昭和二十五年参月参拾日売払
一、登記の目的
所有権移転の登記
一、登記義務者 大蔵省
一、登記権利者住所氏名
「住所番地」「村杉温泉組合分拾四名」但別紙払下認明細書記載の通り
一、物件価格金 八萬円也
一、登録税金 四阡円也
添付書類 登記原因を證する書類がないので嘱託書副本壱通
右登記をお願ひ致したく嘱託致します
大蔵省所管不動産登記嘱託官吏
昭和二十五年六月拾参日 関東財務局新潟財務部新発田出張所長
大蔵事務官 後藤作太郎
新潟地方法務局水原出張所御中
払下人明細書
払下人代表を承諾す 荒木善吉㊞
荒木善吉を払下人代表とする 木村喜蔵㊞ 荒木六蔵㊞ 荒木清兵衛㊞ 荒木茂三郎㊞
荒木力三郎㊞ 荒木富一郎㊞ 川上タイ㊞ 荒木銀一郎㊞ 荒木幸三郎㊞ 荒木猶一㊞
荒木與五兵衛㊞ 鈴木蔀㊞ 荒木キイ㊞
北蒲原郡笹岡村大字大室山参阡九四六番六 山林反別壱百六拾八坪 五畝拾八歩
一 登記原因及其日附
昭和三年六月弐十弐日土地売買契約
一 登記ノ目的 所有権移転ノ登記
一 登記権利者 別紙中共同人名簿ノ通リ
一 登記義務者 農林省
一 土地ノ価格 金壱千参百四拾四円
一 登録税 金四拾四円参拾六銭
右戸右記相成度別紙嘱託副本相添此段及嘱託候也
昭和五年八月弐日 農林大臣代理 東京営林局事務官 佐藤百喜
新発田区裁判所 水原出張所 御中
追而登記原因ヲ證スル書類ハ提出難致ニ付嘱託書副本ヲ添置候條此段申添候也
共同人名簿
荒木善吉㊞ 荒木與慶㊞ 荒木清兵衛㊞ 荒木七之亟㊞ 荒木茂三郎㊞ 荒木猶次郎㊞
荒木與五兵衛㊞ 荒木嘉左エ門㊞ 荒木重次㊞ 荒木重作㊞ 荒木作太郎㊞ 荒木徳松㊞
荒木幸蔵㊞ 荒木茂太郎㊞ 荒木寅次郎㊞ 荒木鹿蔵㊞ 荒木秀松㊞ 荒木萬蔵㊞
荒木健作㊞ 荒木一郎㊞ 荒木甚兵衛㊞ 荒木豊太郎㊞ 荒木儀三郎㊞ 荒木六蔵㊞
川上録郎㊞ 川上正治㊞ 川上文吉㊞ 木村喜蔵㊞ 大野深吉㊞ 大野勇作㊞
大野興之輔㊞ 大野寅次郎㊞ 大野キソ㊞
組合長 荒木善紀
副組合長 荒木徳衛 荒木謙介
会計理事 荒木健五
理事 荒木勝志 荒木清隆 加藤隆夫 川上博治
監事 荒木勤 荒木真利子 大野正昭
組合員 荒木靖夫 荒木憲一 荒木サカエ 荒木潤一 荒木正蔵 荒木信哉 荒木力
荒木一 荒木裕夫 荒木藤雄 荒木誠市 荒木昌哉 荒木ミエ子 荒木嘉記
荒木与蔵 荒木米夫 今津栄子 遠藤勝治 大野広平 大野竹男 大野久人
川上一義 川上基徳 神田喜惣左エ門 木村洋子 木村義雄 斉藤義雄
鈴木美津子 高橋スズノ 土屋正三 成海好浩 長谷川正弘 原栄策
渡辺英司 (アイウエオ順)
出典:開湯700年へ 越後村杉ラジウム温泉 奇跡の「温泉力」より